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COSMOS
10.反響
放送後の視聴者からは、「熱中型」「激励型」「再放送希望型」の声が寄せられ、在日外国人から深夜でもいいから英語版の放送希望もあった。新聞・雑誌での批評も多くとりあげられたが、おおよそは―――
教養番組の枠を越えて……テレビの知的な表現の可能性をさらに拡大してみせた。
ノーネクタイ姿の気さくなセーガン氏の個性が……総じて予想以上の平易さで、宇宙と人間の関わりを解きあかした。
全シリーズを通して、セーガン氏は150億年という宇宙の歴史の中での人類生存の“重み”を熱っぽく語った。そして、正気のさたとも思えぬ大国の軍拡の現状に心を痛め、人類を滅亡させる核戦争の危機を説いた。宇宙的視野で人類を見たとき、地球上の「戦争」が、いかに無意味であるかも訴えた。
地球はかけがえのないものであり、そして人類が滅亡の危機を乗り越えて生き残ることは、宇宙への義務でもある、と結んだ。セーガン氏は、科学ドキュメンタリーをつくったというより、この番組で“人間賛歌”をうたい上げたのである。ここに、多くの視聴者の共感があったと思えるのである。
11月8日の朝日新聞、天声人語は次のように書いた。
カール・セーガン博士の「COSMOS」(木村繁訳)を読んだ。同じ題のテレビの科学番組も見つづけている。なかなかの力作だが、とくに感心したことが三つあった
第一に、わかりやすい。第二に、比喩(ひゆ)がうまい。第三に、強烈な人類愛にささえられている。三点を通じていえるのは、複雑な宇宙のドラマを基礎知識のない人にもわかってもらおうという異常な熱意がみなぎっていることだ。
たとえば宇宙カレンダーの比喩がある。宇宙の始まりを一月一日とすると、私たちの銀河系ができはじめたのは三月初旬、地球と月とできたのは9月中旬、地球上に最初の魚が登場したのは9月19日
そして最初の人間が登場したのは12月31日の午後10時半、ということになるのだそうだ。この宇宙カレンダーを一目みれば、二百億年といわれる宇宙の時の流れの中で、人類の歴史はほんの一瞬にすぎないことがすぐにわかる
その「ほんの一瞬」の歴史しかもたぬ人類がいま「相互不信の催眠術にかかり、人類全体のことや地球のことはほとんど考えず、国家は死のための準備にやっきとなっている」と博士は嘆く。その底には、科学は特権階級や学者だけのものであってはならない。大衆のもの、人類のものでなけばならぬという信念があるのだろう
人類はかつて、古代アレキサンドリアに輝かしい科学文明の花を咲かせたことがある。古代のもっともすぐれた頭脳がアレキサンドリア図書館に集まった。古代世界の名著もそろっていた
その栄光の図書館がやがて破滅する。最後の学者となった美女ヒパチヤが暴徒に惨殺されるのである。文化の粋があとかたもなく破滅したのは、科学が特権階級だけのものだったから、というのが博士の解釈だ。学者たちは星の研究はしたが、奴隷制度の是非を論ずることはしなかった
核兵器を生んだ現代の科学技術がもし特権的な、少数の人たちだけのものであれば、人類はアレキサンドリアの悲劇を繰り返す。
翌年1月、1980年度の第13回テレビ大賞選考で、NHKの「シルクロード」が大賞に選ばれ、その受賞理由に「壮大なスケールとロマンあふれる音と映像づくりが」とあった。それに対して、「同じ理由で〈コスモス〉だって負けないだけの番組だったし、画期的ということでは〈コスモス〉のインパクトの強さのほうが上ではなかったか」の反論が目についた。
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