ジョスリン・ベル・バーネル博士    


 スーザン・ジョスリン・ベルは、1943年7月15日に北アイルランドのベルファストで生まれました。父親は建築家で、非常な読書家でした。ジョスリンは父親の本をとおして天文学の世界に興味を持ったのです。さらに家族と家の近くのアーマー天文台の人達の励ましで、彼女の天文学への興味はますます強くなっていきました。
 
 1965年、ジョスリンはグラスゴー大学で物理学の学士号を得ました。同年末、博士号を取得するためにケンブリッジ大学に入学しました。ジョスリンがパルサーを発見したのは、指導教官のアントニー・ヒューイッシュ教授の指導で研究していた大学院生の時のことです。

 ケンブリッジ大学での最初の2年間は、クェーサーの追跡に使用される出力81.5メガヘルツの電波望遠鏡の製作に携わりました。1967年、完成した電波望遠鏡で観測が始められ、ジョスリンの仕事は、 4日毎に電波望遠鏡から送られる長さ120m以上のグラフ用紙に印されたデータを分析することでした。数週間後、彼女はグラフ用紙にいくつかの変わったマーキング(しるし)があることに気づきました。クェーサーと比べると、電波信号が非常に速くそして規則的でした。電波信号は、長さ121.8mのグラフ用紙の約2.5cmしか占めていませんでしたが、ジョスリンはその重要性に気付きました。これがパルサーの発見につながりました。

 1968年2月、ジョスリンの新しい発見は科学誌「ネイチャー」に発表されました。世界中の天文学者が更に調査を進めた結果、彼女が発見した信号は急速に回転している中性子星から発せられていることが明らかになりました。ジョスリン・ベルが発見した天体は、パルサーとして知られるようになりました。パルサー(pulsar)とは、英語の脈動する電波星、あるいは高速脈動電波源の略語です。

 1968年、ジョスリンはケンブリッジ大学で電波天文学の博士号を得ました。同じ年に結婚し、姓がバーネルに変わりました。ジョスリン・ベル・バーネル博士は、天空を精査し、電磁スペクトルのほとんどあらゆる領域の研究しました。彼女の科学への貢献に対して、数々の栄誉が与えられました。現在は、イギリスのオープン大学で物理学部長の要職にあります。

 余談ですが、ジョスリンと恩師のアンソニー・ヒューイット教授は、パルサーを発見した時、その信号の発信源が何かはっきり分かりませんでした。二人はその信号にLGM(Little Green Men:緑の小人)という名前をつけました。信号は異星人からのものかもしれないと考えたからです。



< 問 題 >

ジョスリン・ベル・バーネルが最初にパルサーを発見した時に使った望遠鏡は、4日毎に121.8mのグラフ用紙にデータをしるしました。
1日ではどの位のデータがグラフ用紙にしるされたのでしょうか?また12日では?



知っていますか?



1974年、天文学者アントニー・ヒューイッシュとサー・マーティン・ライルがノーベル物理学賞を受賞しました。アントニー・ヒューイッシュはパルサーの発見で、この栄誉を与えられたのです。この時、ジョスリンもノーベル賞の栄誉を分かち合う資格があると主張する人達が大勢いました。




宇宙用語集

< 答 え >


望遠鏡は、24時間で30.45mのグラフ用紙にデータをしるしています。12日間では365.4mになります。


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